新生活新聞アーカイブ 1982年1月23日

今から38年前の緑の党機関紙。
当時は、新生活新聞。
~1980年の創刊当時はみちのく新聞
第111号とある。

1982年は、緑の党が青森から東京に本部を移し、函館、岩手、福島、仙台、埼玉、神奈川、名古屋、大阪、四国、福岡と一気にアジトを拡大していった、いわば「南進」「全国化」の時代であった。専従党員も一気に百名以上拡大し、まさに「募金バブル」の時代であった。

紙面は、現在の日本新聞と同じ4面の1枚紙。
紙面を解説する。

1面 当時は日本共産党批判が甚だしい。
1面の右上には、北京放送と平壌放送のラジオ放送時間と周波数がご丁寧に書かれているwww。親中国北朝鮮であるという証明だ。
~現在の日本新聞には記載されていない。
当時の責任者三橋辰雄のトンデモ哲学「太陽への道」。当時はガリ版の本が1500円だかで内部販売されていた。高価で買わなかったが、この太陽への道のコラムをスクラップしていた先輩もいた。やはり、学生には高価で買えなかったからだろう(^_^)
ひのもと抄、今週の動き、信号機のコラムは現在も掲載されている。
緑の党独自の理論が痛々しいwww
てか、一般紙からの写真の盗用も?
一般紙は「商業新聞」「ブルジョア新聞~ブル新」と批判している緑の党だが、矛盾してないか?www

2面は国際面。
なぜか下には、三橋辰雄創作の連載小説。
3面は国内面。
当時は、日本共産党批判、カンボジア難民救援、売春反対をスローガンに活動していた。
募金のネタはカンボジア難民救援。
これが、青森県から全国進出への資金源となっていくのだから怖い((( ;゚Д゚)))。

コラムの青春の広場。
成人の日を批判している内容だが、「土方」という差別用語が平気で使われているwww

3面下の広告は、三橋辰雄の教員時代の著作が数点、そして歌舞団荒野座の二月東京公演。
現在の日本新聞1面にも太陽書房なる会社で、三橋の著作の広告がある。
下が現在の日本新聞の広告。

では、4面へ。
緑の党シリーズと題し、スローガンが書かれている。七とあるので、シリーズで掲載されていたのであろう。
第4面は、売春反対と日本共産党批判が痛々しいが、下段の丘民子なる~おそらく内部党員~の詩「女達よ」は、当時の美智子妃殿下への批判が痛々しい。
特に「最高の売春婦!」「汚い!」と(^_^)

緑の党は、天皇制反対の集団でもあるのだ。

読者のたより。埼玉県労働者とあるが、明らかに新聞社の人間によるやらせ投稿であるww

今後も新生活新聞のアーカイブを解説しますので宜しくお願いします。
モザイクが必要なかなり過激なアーカイブもありますので、お楽しみ下さい(^_^)

0コメント

  • 1000 / 1000

シン・Galaxy Rose Revolutions

カルト集団 緑の党・日本ボランティア会 情報調査室